「野宿入門」出版記念野宿。
夜7時すぎ、スナック「入門」、勝鬨橋の北東川岸で開店。
編集長改め、ママは着物姿で登場。
大将改め、板さんも板前姿で出勤。
お客が来るのを待ちます。
(ウェブログより)
夜7時すぎ、スナック「入門」、勝鬨橋の北東川岸で開店。
編集長改め、ママは着物姿で登場。
大将改め、板さんも板前姿で出勤。
お客が来るのを待ちます。
(ウェブログより)
第2回高遠ブックフェスティバルと重なったので、はじめて東京近郊以外へ遠征。
高遠城の城跡で野宿しました。
高遠城の城跡で野宿しました。
今回の「野宿の日」の野宿は谷中霊園で行われた。墓地内の詳しい野宿場所は発表せず(というか下見をしていなかった)、携帯電話も切るということで、会場探しの間に肝試しも楽しめるということで始めたが、野宿できそうな場所がほとんどなく、ほとんどの参加者は迷うことなく会場をみつけることができたようだった。
野宿場所の発表が野宿の日の前日だったのにもかかわらず、数名が集合、たまたまウェブサイトを見かけたという女性やコミケでいっしょだったという男性などの初参加の人もいた。
当日はあいにくの曇天。やがてぱらぱらと降り出してしまった。(ウェブログより)
野宿場所の発表が野宿の日の前日だったのにもかかわらず、数名が集合、たまたまウェブサイトを見かけたという女性やコミケでいっしょだったという男性などの初参加の人もいた。
当日はあいにくの曇天。やがてぱらぱらと降り出してしまった。(ウェブログより)

「第2回・野宿バー(IN 山下公園)」ぶじやっちゃいました、の遅い報告
雨天決行だと云っていたけれども、用意しちゃっていたのでやっちゃいました、野宿バー。
木陰って雨にぬれないではないか! と喜んでいた一同ですが、朝になるとかなりびしゃびしゃ。木陰ってやっぱり雨にぬれる、という事が判りつつ、雨にぬれても寝ようとおもえば寝られる、ということも判った野宿バーなのでした。(ウェブログより)
雨天決行だと云っていたけれども、用意しちゃっていたのでやっちゃいました、野宿バー。
木陰って雨にぬれないではないか! と喜んでいた一同ですが、朝になるとかなりびしゃびしゃ。木陰ってやっぱり雨にぬれる、という事が判りつつ、雨にぬれても寝ようとおもえば寝られる、ということも判った野宿バーなのでした。(ウェブログより)
野宿新年会も今年で三回目。今回の会場は一回目とほぼ同じ稲城市の多摩川川原。
前回は薪がほとんどなくて会場の変更を余儀なくされたのだが、去年の大雨の際の増水でかなりたくさんの流木が残っており、再び同じところへ戻ってきた。
日没時からのスタート。スターティングメンバーは自分を含め三名。うち一名は6号寄稿予定者のYさん。彼は大阪在住でこの日このために青春十八切符を利用しての上京したとのこと。
薪を集め点火、よく乾いている流木で一発点火。ぼちぼち人が集まりはじめる。
この日はかなり暖かく、薪などを拾い集めて歩き回った後に焚火の周りにいると汗ばむほどで、今晩の野宿は今までで一番楽勝なのではないかと思ったりした。(ウェブログより)
前回は薪がほとんどなくて会場の変更を余儀なくされたのだが、去年の大雨の際の増水でかなりたくさんの流木が残っており、再び同じところへ戻ってきた。
日没時からのスタート。スターティングメンバーは自分を含め三名。うち一名は6号寄稿予定者のYさん。彼は大阪在住でこの日このために青春十八切符を利用しての上京したとのこと。
薪を集め点火、よく乾いている流木で一発点火。ぼちぼち人が集まりはじめる。
この日はかなり暖かく、薪などを拾い集めて歩き回った後に焚火の周りにいると汗ばむほどで、今晩の野宿は今までで一番楽勝なのではないかと思ったりした。(ウェブログより)

4月1日の記事は四月バカの与太話と思われたでしょうか。
その1日に横浜港大桟橋の屋上でドイツの某テレビ局による取材がホントに行われました。みなとみらいの夜景などバックに野宿風景やインタビュー、翌朝には朝のめざめなどを撮影。4日・5日には場所を変えてさらに追加撮影。二晩にも及ぶ営業野宿ははじめてです。この日は日本の週刊誌の取材もこなすという売れっ子状態。(ウェブログより)
その1日に横浜港大桟橋の屋上でドイツの某テレビ局による取材がホントに行われました。みなとみらいの夜景などバックに野宿風景やインタビュー、翌朝には朝のめざめなどを撮影。4日・5日には場所を変えてさらに追加撮影。二晩にも及ぶ営業野宿ははじめてです。この日は日本の週刊誌の取材もこなすという売れっ子状態。(ウェブログより)
4月1日の記事は四月バカの与太話と思われたでしょうか。
その1日に横浜港大桟橋の屋上でドイツの某テレビ局による取材がホントに行われました。みなとみらいの夜景などバックに野宿風景やインタビュー、翌朝には朝のめざめなどを撮影。4日・5日には場所を変えてさらに追加撮影。二晩にも及ぶ営業野宿ははじめてです。この日は日本の週刊誌の取材もこなすという売れっ子状態。(ウェブログより)
その1日に横浜港大桟橋の屋上でドイツの某テレビ局による取材がホントに行われました。みなとみらいの夜景などバックに野宿風景やインタビュー、翌朝には朝のめざめなどを撮影。4日・5日には場所を変えてさらに追加撮影。二晩にも及ぶ営業野宿ははじめてです。この日は日本の週刊誌の取材もこなすという売れっ子状態。(ウェブログより)

どこの誰が決めたたのでしょうか。ハイ、もちろん編集部某編集長が独断で決めました。というか気がつきました。気づいてしまいました。今年から毎年六月十九日は「のじゅくの日」と制定されました。こうして漢数字を縦書きで書くと判りづらいのですが、6月19日と書けば判りやすいかもしれません。数字の「6」を右に90度回転させてみます。もうお判りですね。「の」になります。「19」は「じゅうく」。合わせ技で「のじゅくの日」というわけです。年に一度の野宿的祭日。この日に野宿せず、いつ野宿するんだってくらい重要な日です。すべての人は前日(18日夜)から野宿して、野宿中に「のじゅくの日」を迎え、祝わなければなりません。
この記念すべき第1回目の開催には、ほとんどネット上の告知もないままだったのにもかかわらず、総勢16名の野宿野郎のみなさんにご参加いただきました。
ほぼ定刻にスタートし、たんなる野外飲み会チックなものでしたが、駆けつけていただいた野宿野郎には、H大学の鍋研究会(正式名称まちがってたらごめんなさい)の現役&OBのみなさんから振舞い鍋をご馳走になりました。ありがとう! マジうまかったです。あったまりました。
ほかにもN大学野宿研究会のみなさん。奈良から来てくれたチャリダーのNさん。ロンジーがとってもお似合いのSさん。ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。また来年お会いしましょう!というか9月にまたやるかもです。(本誌3号より転載)
この記念すべき第1回目の開催には、ほとんどネット上の告知もないままだったのにもかかわらず、総勢16名の野宿野郎のみなさんにご参加いただきました。
ほぼ定刻にスタートし、たんなる野外飲み会チックなものでしたが、駆けつけていただいた野宿野郎には、H大学の鍋研究会(正式名称まちがってたらごめんなさい)の現役&OBのみなさんから振舞い鍋をご馳走になりました。ありがとう! マジうまかったです。あったまりました。
ほかにもN大学野宿研究会のみなさん。奈良から来てくれたチャリダーのNさん。ロンジーがとってもお似合いのSさん。ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。また来年お会いしましょう!というか9月にまたやるかもです。(本誌3号より転載)

某マスコミの取材で野宿をしました。
マスコミ取材のためなどの野宿を編集部では「営業野宿」と呼んでいます。
野宿場所を決めるのにちょっとだけ手間取りました。野宿という行為の法律的社会的なビミョーな問題などで、これまでも何度か大手マスコミが取りあげてくれるという企画が頓挫しているのです。(ウェブログより)
マスコミ取材のためなどの野宿を編集部では「営業野宿」と呼んでいます。
野宿場所を決めるのにちょっとだけ手間取りました。野宿という行為の法律的社会的なビミョーな問題などで、これまでも何度か大手マスコミが取りあげてくれるという企画が頓挫しているのです。(ウェブログより)

さてクエスチョン、九月十九日は何の日? ハイ、まどろっこしくてスミマセン、昨年から新たに六月十九日は「のじゅくの日」と制定されたわけですが、気がついてしまいました、九月の「9」を左に九十度回転させると、これまた「の」と読めてしまうということに。「19」は「じゅ−く」、転じて「じゅく」。というわけで去る二〇〇五年初秋、第二回「のじゅくの日」野宿を開催しました、思い起こせぱ誠にもって場当たり的な企画でございましたが、それでも総勢七名の野宿野郎が集い、年に二度あるこの野宿的祭日を祝ったのでありました。
編集長女史が野宿するつもりだったけどけっきょく野宿してないチベット野宿旅から帰還されたばかりであったことや、開催日間近まで編集長ご本人が「ほんとにやるんですか−」と必殺のテキトー発言を繰リ返していたため、ネット上の告知もほぼなかったわけですが、開催の迫ったその週末に編集長からの強引なまでのネズミ講式勧誘にのせられた気が弱いのではなく心が優しいボランティア精神あふれる面々が集い、東京タワーの赤いネ才ンを見上げながら聖夜を過ごしたのであります。(本誌4号より転載)
編集長女史が野宿するつもりだったけどけっきょく野宿してないチベット野宿旅から帰還されたばかりであったことや、開催日間近まで編集長ご本人が「ほんとにやるんですか−」と必殺のテキトー発言を繰リ返していたため、ネット上の告知もほぼなかったわけですが、開催の迫ったその週末に編集長からの強引なまでのネズミ講式勧誘にのせられた気が弱いのではなく心が優しいボランティア精神あふれる面々が集い、東京タワーの赤いネ才ンを見上げながら聖夜を過ごしたのであります。(本誌4号より転載)
